SSブログ

懐かしの偉大なるプレーヤー [TENNIS IMAGE]

今日、友人からのメールに添付された60年代の選手の写真に何故か反応してしまい、その頃に活躍した選手の、これはと云うプレー写真を集めてみました。情報が少ない中お手本にした画像を探し、チョットしたコメントと共に、大先輩たちをご紹介します。

【2度のグランドスラムを達成した、ロッド・レーバー】
rod.jpg
ギッチョのお手本だったレーバーさん。このフォア・ローボレーは踵の入り方と左膝の低さ、そしてグリップの角度を学ばせていただきました。1938年生まれ。1962年と1969年の2度「年間グランドスラム」を達成。4大大会シングルス通算「11勝」は、ボルグと並ぶ歴代4位タイ記録。バックハンドの多彩なショットも魅力で、一番の憧れの選手です。

【バックハンドは多くの日本人選手のお手本だったローズウォールさん】
rosewall.jpg
川廷榮一さんの写真の方がもっと良い写真があるのですが…、やはりバックハンドはローズウォールさん。1934年生まれで選手生命が長い選手でした。4大大会でシングルス8勝、ダブルス9勝、混合ダブルス1勝を記録。しかしウィンブルドンでは4度の準優勝。唯一、ウインブルドンのタイトルが取れなかった野澤はとっても残念でした。

【豪州の黄金時代の雄、ジョン・ニューカム】
newcome.jpg

ジョン・ニューカムは1944年生まれ。ニューカムと云えばサーブ&ボレー。4大大会でシングルス通算7勝を挙げたが、球足の遅いクレーコートが苦手で、全仏オープンでは優勝できなかった。ヒジを上げてからのトスを上げるという印象深いサーブのフォーム。今はアメリカ・テキサスでアカデミーを主宰。ボクもいちど訪れ、クリニックに参加しました。

【ニューカムと云えば、トニー・ローチ】
tony.jpg
トニー・ローチは1945年生まれ。ニューカムとのダブルスは本当に強かった。4大大会で12勝。ボレーのテクニックはピカイチで、写真のようなバックハンドボレーも、充分引きつけてから左右に散らす配球も抜群だった。ダブルスのグランドスラマーでもある。引退後はレンドル、フェデラー、ヒューイットのコーチにも就任し、戦略的な指導力の高さを発揮している。ネットプレーヤーながら全仏優勝のキャリアを持つ、おしゃれなテクニシャン。

【隠れた英雄は、ロイ・エマーソン】
emerson.jpg
エマーソンは1936年生まれ。4大大会男子シングルス通算12勝・男子ダブルス16勝を挙げ、総計「28」のグランドスラム・タイトルを獲得した名選手。このバックボレーのフォロースルーが当時でも才能を感じさせ、子供ながらこの躍動感を実践するべく練習したのを覚えています。ニューカムキャンプに行ったときお酒好きでユーモアたっぷりのキャラだったのを覚えています。このバランスはすごいでしょ。

【アメリカ人では、スタン・スミス】
smith.jpg
オーストラリアンテニス全盛の時代にアメリカ人として気を吐いたのはスタン・スミスさん。1946年生まれで、4大大会優勝ではウインブルドン1勝と全米2勝ではあるが、デビスカップで7回の優勝の原動力となったアメリカの国民的英雄。彼の名前のアディダスのシューズは今やストリートファッションの定番でもある。ボブ・ラッツと組んだダブルスは圧巻で、錦織圭の全米ファイナルのコイントスも務めたことでご存じの方も…。現在はサウスキャロライナでアカデミーを主宰しています。

【そして最後は、ビタス・ゲルレイティス】
vitas.jpg
どうですこのバックボレー。唯一ゲルレイティスは60年代で活躍した選手ではありませんが、1994年に40才の若さで急逝したので、ボクの大好きな選手たちにノミネートしました。グランドスラムの優勝は1回しか(1977/全豪)ありませんが、ボクは彼が18才で出場した全米オープンでは坂井利郎さんをさんざん苦しめた時から注目していて、その後ツアー通算32勝をあげたのは彼のタレント以外にはないと思っています。それにしても、この手首の使い方、うなりますよね。あの頃のセルジオ・タッキーニ、憧れでした。

モノクロの選手画像、勝手に様々なサイトから頂戴してしまいました。一つひとつにカットに良いお勉強をさせてもらった記憶があります。ロッド・レーバーからビタス・ゲルレイティス、テニスはやっぱりネットプレーが圧巻ですね。ドロップションとも良いですが…。

コメントは noblog@tennisfactory.co.jp  or  Call:03-3499-6160