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清水善造さんの初出場から100年目 [TENNIS IMAGE]

【ウィンブルドンのFacebookページに日本語での投稿がありました】
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https://www.facebook.com/wimbledon/
1920年に日本人選手として初めてウィンブルドンに出場したのが清水善造さん。その時から今年が100年目を迎える記念すべき大会になるはずだったわけです。

清水善造さんは1891年3月25日、群馬県群馬郡箕郷村(現高崎市)出身で、県立高崎中学校(現・高崎高学)に進学。東京高等商業学校(現・一橋大学)を卒業後、1912年に三井物産に入社後、駐在員としてカルカッタ、ニューヨークなどに赴任。この期間中に国際大会に出場していたとのこと。テニスは高校時代に軟式テニスを始め、大学時代は主将を務めていたそうです。硬式テニスへは赴任先のカルカッタで転向。その後インド国内の大会などで優勝を重ね、出張で訪れたブエノスアイレスでは南米選手権で優勝などと活躍し、1920年に長期休暇が許されイギリスに渡り、英国内での大会に出場後、6月のウィンブルドンに日本人選手として初めて出場しました。そしてなんとチャレンジラウンド(その年の大会優勝者が前年のチャンピオンに挑戦する方式)の決勝まで勝ち上がり、当時世界ナンバーワンだった「ビル・チルデン(アメリカ)」に 4-6, 4-6, 11-13 で惜敗しましたが、ヨーロッパ人に日本のテニスを知らしめたと云っても過言ではない成績をおさめました。翌年の1921年には日本が初めての男子国別対抗戦「デビスカップ」にも初出場。そしてアメリカゾーンを勝ち上がり、オールカマーズ・ファイナル(前年優勝国に挑戦する対戦)まで勝ち進みました。当時の世界ランキングでは1920年は9位、1921年は4位という成績を残しています。

清水善造さんをもっとお知りになりたい方へのオススメ書籍
●上前淳一郎『やわらかなボール』文藝春秋、清水善造の生涯に関する基本文献。
●小林公子『フォレストヒルズを翔けた男-テニスの風雲児・原田武一物語-』朝日新聞社
●岡田邦子『日本テニスの源流 福田雅之助物語』毎日新聞社
日本のテニスの源流を読むことが出来るでしょう。

ちなみに故郷である群馬県テニス協会は、善造さんの名を冠した『清水善造杯』が今でも開催されていて、ボクも群馬県の出身なので高校生の時に何回か出場したことがあります。
また高崎市では今月オープンする21面の公営ハードコート(デコターフ)に「清水善造メモリアルコート」と名付けました。素晴らしいファシリティーです。