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Gunze World Tennis 1988のプログラム [Tennis Books]

【Gunze World Tennisのプログラム第2弾は第15回大会、1988年のプログラム】
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表紙はジミー・コナーズとシュテフィ・グラフです。この年は前半を横浜文化体育館で、後半は大阪府立体育会館で開催されました。男子はコナーズの他、エリオット・テルシャー、ティム・マイヨット、デビット・ペイトらが、女子はグラフの他、ヤナ・ノボトワ、マヌエラとカテリナのマリーバ姉妹、メアリー・ジョー・フェルナンデスと日本からは井上悦子さんが出場した、男女シングルスとミックスダブルスのみの大会でした。

【当時35才になったコナーズを巻頭から大々的にアピールするレイアウトです】
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コナーズは1978年の大会がグンゼのデビュー戦でした。その当時はまだ25才でしたが、1972年にUCLAを卒業後プロに転向。74年には全豪オープン、ウィンブルドン、全米オープンの3大会で優勝し、飛ぶ鳥を落とす勢いでした。日本国内におけるファンも多く、たぶん会場も“満員御礼”が続いたことでしょう。

【当時世界ランキング30位にいた井上悦子さんのグランドスラムでの戦い】
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悦子さんのグランドスラムでの戦績は通算13勝25敗。優勝はないので合計で25回グランドスラム大会に出場したことになります。最高成績は1988年の全豪オープンで3回戦進出でした。澤松和子(グランドスラム通算:28勝23敗)さんの後の日本人女子選手が世界で活躍をする扉を開けた第1人者でしたからその功績は計り知れないくらい大変なことだったと思います。現在は神奈川県の白鵬女子高のテニス部のコーチを務められています。

【こちらが1988年の大会ドロー/最終日です】
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男子はコナーズとマイヨットの決勝、女子はグラフとマヌエラ・マリーバの対戦。ミックスでは悦子さんがコナーズとペアを組んで出場しましたが準決勝で敗退しています。このペラは毎日更新される、オーダーオブプレーですが、プログラムの中にはもう1枚のペラがあり、男子のマンスドルフに替わって、オーストラリアのマーク・ウッドフォードが出場すると云う内容で、プロフィルが挟まっていました。当時はまだ23才だったマーク。この年のウィンブルドンでレンドルと4時間46分の死闘の末、ファイナルセット(5セット)で敗れたが、互角に戦った事に期待がかかると記されています。懐かしい話です。