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古今東西テニス史探訪が現実味を帯びてきました [TENNIS LINKS]

【テニスマガジンウェブの古今東西テニス史探訪がVol.10で熊谷一弥さんが登場です】
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https://tennismagazine.jp/_ct/17252202
岡田邦子さん執筆によるテニス史で、ようやく知っている選手名が登場し始めました。
この写真は、「1912年にマニラで行われた東洋選手権大会に参加した朝吹常吉(前列の右から2人目)と山崎健之亟(前列の左から2人目)。日本人テニス選手としては初の海外遠征。出典◎朝吹登水子・編『ある家族の肖像』p.60掲載」日本庭球協会を設立したひとりである「朝吹常吉」が登場し、ほぼ100年前のところまでテニス史探訪がやってきました。

【清水善造さんのバックハンドグリップ】
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1918(大正7)の頃、清水善造は三井物産出張員附としてカルカッタ(現、コルカタ)に赴任してから硬球のテニスに取り組みはじめ、商用で出張したブエノスアイレスでアルゼンチン選手権に出場して優勝候補のイギリス人選手を破り単複に優勝。1920(大正9)年には長期休暇をとってヨーロッパの大会に出場し、ウインブルドン大会ではオールカマーズ決勝で、清水はビル・チルデン(William Tatem Tilden Ⅱ)に善戦。昭和生まれの方には道徳の教科書にも登場した「やわらかなボール」(足を滑らせ転倒したチルデンに緩いボールを返したら、チルデンが態勢を立て直し、その返球がエースになった)の逸話はこの試合のワンポイントのことです。お孫さんの清水善三クンとはテニスライバルです(余談)。

そして、朝吹さんらの尽力のもと、デビスカップに出場できるようにするため、1921(大正10)年3月に日本庭球協会が仮発足するストーリーも登場します。

【福田雅之助さんも登場】
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この画像のキャプションは「1922年、帝大コート(現、東京大学御殿下グラウンド)で開催された第1回全日本選手権でニューヨークカップ(優勝杯)を獲得した福田雅之助。のちにデ杯選手として渡米した福田はイースタン・グリップを取り入れ、帰国後はテニス記者として近代テニスの紹介者となった」「この一球」の大先生です。

【毎回楽しいのは「=ちょっと寄り道=」です】
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「藤澤カントリー倶楽部」のクラブハウスだったスペイン風の瀟洒な建物
へえ〜が詰まっています。詳しくは本文からお読みいただいた方がよろしいかと…。
日本のテニスの歴史はここからが面白い。次号以降も期待します。

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