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往年の名選手“宮城淳”さんが自分史を上梓するそうです [TENNIS LINKS]

【全米オープンダブルスチャンピオンの宮城淳さんのお話です】
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宮城淳さんは1931年10月生まれの89才。早稲田大学入学後にテニスを始め福田雅之助さんに師事。1952年、熊谷一弥監督のもとデビスカップ代表に選出され、当時のアメリカンゾーンでプレー。同じ早稲田大学の1年後輩の加茂公成さんとペアを組み、1954年の全日本で単複優勝を遂げると、55年の全米オープンのダブルスで優勝。日本人の男子ペアとしては唯一のグランドスラムチャンピオンとなりました。卒業後はゼネラル物産に入社してプレーを続け、全日本選手権では単複でそれぞれ4度の優勝。引退後は、母校早稲田大学の庭球部監督、日本テニス協会専務理事、早稲田大学人間科学部教授などの要職を務めていました。

【宮城さんにアルバムをお借りして100枚くらいをスキャンさせていただきました】
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当時田園テニスクラブで全日本選手権が開催されていた頃の表彰式の写真に手書きで選手や役職の方の名前をアルバムに書き込んでいたり、デビスカップの前の練習に当時の昭和天皇がお越しになりご挨拶をされている写真などもあり、有り難くストックさせていただいています。お亡くなりになったお姉さまの黎子さんにも本当にお世話になりました。

【ここからは拡散希望です】
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https://www.facebook.com/atsushi.miyagi1
宮城淳さんのFacebookお嬢さんたちから以下のような書き込みがありました。

宮城淳の長女の薫と次女の優です。この度は皆さんへのご報告とお願いがありこの場をお借りして書かせていただいております。まずご報告です。この度、父、宮城淳の自分史を作ることにしました。それは3年前に亡くなった母と自分史を作るという約束を守るためです。今は編集者の方と打ち合わせを重ねながら日々書き続けています。そこには日本人で初めてテニスの全米オープンのダブルスで優勝した父の人格やテニスに対する信念をはじめとした人生の全てを綴っています。父は昨年10月に89歳になりました。自分も「ここまで長生きすると思わなかった」と常に言っています。私がいうのもなんですが、父は強運で幸せな人生を過ごしてきたと思っています。ただ現在、父は体調がすぐれず思うように動けない状態が続いており、今は私たちが父に関する資料を集めながら編集の方と打ち合わせを重ねている状況です。そのため、最初に書いた皆さんへのお願いというのは父と皆さんとの思い出話やエピソードをこちらに送って頂きたいということです。父と私たち家族だけで自分史を作るのではなく父と関わりのある皆さんとも一緒に作り上げることがより天国の母を心から喜ばせられると感じているからです。父は以前、家族で食事をしていた際に「僕が優勝できたのは運がよかったからで、それは周りのみんなのおかげなんだ」とポロッと一言話したのがすごく印象に残っています。子供の頃戦争を経験し、生きること自体が困難だったにもかかわらずテニスに人生を注げたのはみんなの支えがあったから、、、その思いが父の根底にあるのだと感じます。だからこそ、父の自分史は皆さんで作り上げたいと感じており、父との思い出やエピソード、新聞や雑誌の切り抜き、一緒に撮った写真、友人として教師としてテニスの選手、監督として、父からの印象的な言葉や心に残ってる一言などなど、、、どんなことでも構いませんので情報を提供して頂きたいと思っています。皆さんの力をお借りしながら父の自分史を最高のものにして天国の母を心から喜ばせてあげたいです。ですので、もし、ご協力していただける方は「宮城淳 エピソード」という表題で下記のメールアドレス、またはFACEBOOKのメッセンジャーに送信をお願いいたします。また、FACEBOOKでのシェアやFACEBOOKをされていない父のご友人の方にもこの話を伝えて頂けますと幸いです。情報の送信先はFACEBOOKのメッセンジャー、もしくは下記Gmailにて。
atsushimiyagitennis@gmail.comお手数おかけいたしますが皆さんのお力添えをよろしくお願いいたします。長女・宮城薫次女・宮城優(原文ママ)

奥さまの操さんにもお世話になりました。弦巻営業所行きの東急バスの中でお会いしたときは、「近岡さん宅の山形のテニスコートでプレーしてきたんだよ」とか、加茂公成さんがお亡くなりになったとをご連絡したときも「そうか、残念だったねえ」と仰っていただいたことなど(加茂さんにも可愛がっていただきました)様々なことを思い出します。多くの方からの情報提供で、クオリティの高い本が出来上がることをお祈りしています。

【1955年、デ杯インターゾンで豪州に敗れたときの日本チーム】
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左から、原田武一監督、宮城さん、加茂さんが当時まだ1段だったデビスカップの前での日本チームの集合写真。これは伊藤栄吉さんのご長男からいただいた画像です。カッコイイ!

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