青山学院大学庭球部の創部100周年の記念誌 [Tennis Books]
【記念シャツ、式典、記念品に続き210ページの記念誌が出来上がりました】
表紙は青学庭球部らしく、緑の濃淡のコートをイラストで表現しました。100thは金文字。
【1学年ごとに見開きで紹介しています/左が男子、右は女子というページ構成】
1923年の創部から昨年で100年。ボクは1975年入学で1979年卒業の代になります(実際には2年留年しているので1981年の卒業ですが‥)当時の関東学生テニスリーグは1部が4校生制で、我が部は2部3位。関東では7位といった位置でした。今は1部6校制になりましたが同じように2部なので、当時と同じような順位ではあります。女子は強かったです。1部は当たり前で大学王座で3度の優勝を誇り、オールジャパンの選手もたくさん在籍していました。200ページあるのでスキャンがきれいにできませんでした。
【記事ページでNOBU TEAMキャプテンの小野田賢と対談も紹介して頂きました】
小野田がプロに転向する際に「小野田モデル」として現在のプロモデルシリーズを作るきっかけになったことなどをおしゃべりしています。小野田は現在、ツアーコーチとして活躍していますが、その一方で女子部のコーチも兼務していてさまざまな形でサポートしています。100周年記念誌はNOBUに置いてあります。懐かしい選手に会えるかもしれませんので、ぜひご覧になりにお越しください。それにしても小野田は大きい。
表紙は青学庭球部らしく、緑の濃淡のコートをイラストで表現しました。100thは金文字。
【1学年ごとに見開きで紹介しています/左が男子、右は女子というページ構成】
1923年の創部から昨年で100年。ボクは1975年入学で1979年卒業の代になります(実際には2年留年しているので1981年の卒業ですが‥)当時の関東学生テニスリーグは1部が4校生制で、我が部は2部3位。関東では7位といった位置でした。今は1部6校制になりましたが同じように2部なので、当時と同じような順位ではあります。女子は強かったです。1部は当たり前で大学王座で3度の優勝を誇り、オールジャパンの選手もたくさん在籍していました。200ページあるのでスキャンがきれいにできませんでした。
【記事ページでNOBU TEAMキャプテンの小野田賢と対談も紹介して頂きました】
小野田がプロに転向する際に「小野田モデル」として現在のプロモデルシリーズを作るきっかけになったことなどをおしゃべりしています。小野田は現在、ツアーコーチとして活躍していますが、その一方で女子部のコーチも兼務していてさまざまな形でサポートしています。100周年記念誌はNOBUに置いてあります。懐かしい選手に会えるかもしれませんので、ぜひご覧になりにお越しください。それにしても小野田は大きい。
2024-04-10 08:26