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原田武一さんの物語/2000年・朝日新聞社刊 [Tennis Books]

【小林公子著「フォレストヒルズを翔けた男」テニス界の風雲児/原田武一物語】
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原田武一(たけいち)さんは1899年(明治32年)倉敷の素封家の長男として生まれ、慶應義塾大学進学後、庭球部のエースとして活躍し、1923年(大正12年)第2回全日本選手権で優勝。その後アメリカのハーバード大学に留学し、当時の世界ナンバーワンだったビル・チルデンらの強豪と互角に渡り合い、全米ランキング3位、世界ランキング7位を記録しました。当時は熊谷一弥、清水善造、佐藤次郎、布井良介ら戦前の日本が世界に誇った名選手を排出しましたが、その後塵に原田武一さんの活躍が存在しました。

【明治男はなかなかのイケメンでした】
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この本の本文からは“日活俳優に誘われた美貌で、女にもて、当時高価だったオートバイを乗り回し、ホテルで芸者を揚げ、愛人との心中未遂事件を起こすなど、その性格は豪放磊落で、天衣無縫。晩年は選手を正統的な型にはめようとする日本テニス界の傾向を批判し、自由で個性を生かした「ノーフォーム・ノーグリップ」のテニススタイルを提唱した”と書かれています。まさしく現在の世界のテニスの流れがここにありますね。

【デ杯監督を務められていた時の1955年のアメリカ遠征で、宮城淳、加茂公成と】
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左から原田さん、宮城さん、加茂さんで、後ろはまだ優勝国のパネルが1段しかない“本物のデビスカップ”です。この写真は伊藤栄吉(1936年のウィンブルドンダブルス・ベスト8)さんのお孫さんからいただいたものですが、この年のアメリカ遠征で日本チームはデビスカップを戦い、その後“加茂・宮城のダブルス”が全米オープンのダブルスで優勝するわけです。古き良き日本テニス界の歴史。NOBU店内の書棚に保管してありますので、いつでも貸し出し可能です。お正月休みにでもご一読、いかがでしょう。