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1995年/トーマス・ムスターのクレーは65勝2敗の脅威 [TENNIS IMAGE]

【メキシコシティからブカレストまで13大会で11大会の優勝と云う脅威の戦績】
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トーマス・ムスター(Thomas Muster)は1967年10月2日、オーストリア生まれ。同国のテニス選手として初めての4大大会優勝者(1995年全仏オープン)になり、1996年2月に同国のテニス選手として初の世界ランキング1位を記録しました。ATPツアーで44タイトルを挙げ、マスターズの優勝も8回という戦績を残し、2011年44才で引退しました。
TENNIS PRO LEGACYと云うサイトで、1995年のムスターのクレーコートの戦績が65勝2敗だったと言う脅威の活躍を、13大会の1回戦からのスコアと共に紹介し負け試合だけを赤文字にして表組みしています。クレーコートでどれだけタフに戦ったかが分かります。

【1989年に交通事故で左膝を大けがし、特別仕立てのベンチでリハビリし見事復帰】
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テニスキャリア上昇期にあった1989年3月、マイアミ・マスターズの準決勝を勝利した1時間後、飲酒運転の車にはねられて左膝に大怪我を負い、レンドルとの決勝を欠場。この治療とリハビリのために半年以上のブランクを余儀なくされました。治療期間中もボールを打つ練習をするために、この画像で分かる特別仕立てのベンチを使ってトレーニングしたと云う逸話もありました。翌1990年にはその逆境を乗り越えて、ツアーで3タイトルを獲得し全仏オープン準決勝に進出、オーストリアがデビスカップでチーム最高成績となるワールドグループ準決勝進出を果たし、1990年度のカムバック賞を受賞しました。その後95年に全仏オープンで初のグランドスラムを獲得し、96年にはランキングも1位になりますが99年の全仏を最後に32才で引退。しかし2010年に42才で現役に復帰しますが、ツアーレベルに戻ることはできず、翌11年に再び引退しました。
トップスピンを得意とするムスターはクレーコートで抜群の強さを発揮しましたが、対照的に芝コートには苦手意識が極端に強く、ウィンブルドンでは1勝も挙げられませんでした。調べてみると1985年の全仏からグランドスラム出場が始まり1999年までの14年間のうちウィンブルドンに出場したのは4回だけ。敢えてスキップしたとしか思えないくらいの芝生嫌いだったようです。昔はこんな選手もたくさんいましたね。

【現役当時のムスターの活躍を編集した“TENNIS TV”のベストショット集がこちら】

交通事故のハンディを克服した強靭な精神力の持ち主であり、ムスターは当時の男子プロテニス界で最も大きな唸り声を放っていたそうです。その気性の激しさから“野獣”、“怒れる雄牛”と形容されたこともあったのも有名な話です。最後は母国の後継者、ドミニク・ティエムとの対戦で2度目の引退となりました。楽しい試合をたくさん、ありがとうございました。