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そういえばこんなの作っていました [Custom Made]

古くからの友人・竹内映二さんがデビスカップチームのコーチになったのが1992年。その当時は“日本各地でテニスの普及を”というコンセプトの基に、デビスカップが国内の様々な場所で開催されていました。コーチ2年目を迎えた映二さんのアイディアで、会場で応援グッズを販売しようと云うことになり、93年に佐賀で行われたニュージーランド戦の時から“ガンバレ・ニッポン!”グッズ(主にT-シャツ、トレーナー、キャップ、ポロシャツ)の製作をし、会場まで持ち込んで売り子まで務めました。これがフェドカップにまで繫がり、映二さんがデ杯監督になる2003年まで作っていました。

【伝説の96年、フェドカップのドイツ戦ではこんなデザインで】
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懐かしく思われる方も多いと思いますが、グラフ対伊達公子の1戦の時のモノです。当時はとにかくベタに「ガンバレ・ニッポン!」でデザインしようと云うことになり(まだMacなんて使っていませんでしたから)写植やさんに出して版下を作り、それから製版という作業でした。そんな仕事のやり方も隔世の感があります。

【それを取り上げてくれたのがテニスジャーナル】
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当時は「日本テニス選手会」という組織があり、そこが販売管理をしていたのですが、製作担当という業者として、北は札幌・月寒ドーム、南は宮崎・シーガイアまで、全国各地を売り子として駆け回りました。どこに行っても地元のテニス協会の皆さんに心温まる歓迎をしていただき、楽しかった思い出と、対戦には負けて、悔しい思いと(よって売れ残りが生じ持ち帰ることもしばしば)疲労困憊で帰京したこともあり、いい経験をさせていただきました。今や我が国はワールドグループベスト8とアジア・オセアニアゾーンとは遠い世界に行っちゃいましたが、イヤイヤ懐かしい話です。

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