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イリ―・ナスターゼはやっぱり天才だったわ [YouTube Tennis]

【1972年のウィンブルドンの準々決勝でジミー・コナーズにストレート勝ち】

ちょうどこの頃はナスターゼの全盛期。この年のウィンブルドンでは第2シードで登場し、準々決勝でコナーズを破ると、準決勝はマニュエル・オランテスを破って決勝に進出。残念ながらスタン・スミスに敗れて準優勝でした。ただこの年の全米では優勝しています。

イリー・ナスターゼは1946年、ルーマニア・ブカレスト生まれ。1972年全米オープンと1973年全仏オープンの男子シングルスで優勝し、ルーマニア人選手として史上初の4大大会優勝者になりました。当時は体操のナディア・コマネチと並んでルーマニアが生んだ最大のスポーツ選手のひとりに数えられた事もありました。1973年にはATPランキング1位の座につき、現役時代にシングルス57勝、ダブルス45勝を挙げた天才肌の選手でした。彼はテニスの歴史を通じて最も個性的なキャラクターの選手でもあり、“Bucharest Buffoon”(ブカレストの道化師)というニックネームで呼ばれたこともあります。コートマナーが非常に悪く、物議を醸す振る舞いも多かったことから、語呂合わせで“Nasty Nastase”(癇癪持ちのナスターゼ)と呼ばれたこともありますが、マッケンローに上を行かれました。抜群なテクニックの持ち主でボクは大ファンでした。