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トニー・トラバートさんがお亡くなりになりました [TENNIS LINKS]

【国際テニス殿堂が訃報を報じています】
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https://www.tennisfame.com/
グランドスラムタイトル10回(単5勝、複5勝)で1970年に殿堂入りした、トニー・トラバートさんが2月3日、フロリダの高級リゾート地で知られるポンテベドラビーチの自宅で90歳で亡くなりました。彼は1930年オハイオ州シンシナティで生まれ、ジュニア時代から活躍し、シンシナティ大学在籍中の1948年には全米選手権に出場しています。そして51年にはアメリカデビスカップチームのメンバーに選ばれ、初出場時は当時の「アメリカン・ゾーン」の1回戦で対戦国は熊谷一弥監督のもとで中野文照、隈丸次郎、藤倉五郎の3名が出場した日本チームで、日本が0勝5敗。彼は単複に出場して2勝を挙げるデビューを果たし、若きアメリカテニスのヒーローとなりました。

【米国人選手として全仏オープンの優勝は34年間の空白がありました】
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トニー・トラバートさんは大学を卒業後、海軍に所属し2年間のブランクを持ちますが、退役後テニスに復帰し、1953年に全米選手権で優勝、1954年は全仏選手権で単複2冠を獲得し、翌55年に全仏2年連続の単複連覇を達成。実はここから34年間、1989年の全仏オープンでマイケル・チャンが優勝するまで、同大会にアメリカ人の男子シングルス優勝者は現れないという伝説を持ったほどの名プレーヤーでした。

【引退後はテレビ解説者などでも活躍されました】
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1970年に国際テニス殿堂入り。引退後は「トニー・トラバート・テニス・キャンプ」をロサンゼルスに立ち上げジュニアの育成に努めたり、テレビ解説者としても活動(この写真はロッド・レーバーとピート・サンプラスにインタビューしているシーンでしょう)してきました。1976年から80年の5年間、デビスカップ・アメリカ代表チームの監督を務め、1978年と79年にチームを優勝に導いた名伯楽です。どうぞ安らかにお眠りください。合掌。