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princeが50周年を迎えました [TENNIS IMAGE]

【始まりは、1970年にボールマシン製造メーカーとしてプリンス社が創設され】
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https://princetennis.jp/concept/history
そこからラケットの製造に転換していくのですが、ハワード・ヘッドさんがデカラケを発明(発想があった)し、princeのラケットが作られたのです。

【では、ハワード・ヘッドさんはどんな人だったのかと云うと】
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Howard Headは1914年、アメリカのフィラデルフィアで生まれ、元々は航空エンジニアだったそうです。それまで木製だったスキーの板をアルミとメタルとプラスティックのペアで開発し、自らの名字を冠にした「HEAD社」を1950年に設立。このスキー板で成功を収めると、次はテニスラケットの製造に移り、アルミ製のハニカム構造で知られるテニスラケット“アーサー・アッシュコンペティション”や、“マスター”、“プロフェッショナル”などのアルミラケットを製造し成功を収めます。そのHEAD社は1969年に“AMF”に売却し引退しました。その後どうしてもテニスを上達させたいハワードは「プリンスマニュファクチャリングインク」で製造されたマシンで練習を重ねますが試合で勝てず、この会社を買収するとともに、特大サイズのラケットのデザインを考案し、1976年に「prince」のブランドで、自分が上手くなれるラケット(初期版はクラシックと呼ばれた)を作ってしまったと云う訳です。木のラケットの主流は70平方インチのラケットが110平方インチのラケットとして登場した訳ですから、テニス界にとってはとんでもないエポックだったと云えるでしょう。

【そして、16歳の少女 パム・シュライバーが全米オープンの決勝に進出】
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しかして、「デカラケ」は注目のラケットサイズとして世界中に広まったわけです。最初はアルミだったデカラケが1978年にはカーボン・グラファイトでできた「グラファイト」が登場。選手達の憧れの存在とも云える地位を確立したのです。その後は100%木の素材で「Woody」なんてデカラケも出しちゃった訳ですから、1991年に77才で亡くなるまで、ハワードにとっては楽しい人生だったでしょうね。ありがとう、ハワードさん。