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テニスマガジン・2021/7月号 [Tennis Books]

【月刊テニス専門誌のご紹介(5/21発売のテニスマガジン)】
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今月のテニスマガジンの表紙はラファエル・ナダル。本来ならば1年に1回の全仏オープンですが、8ヶ月後の5月末からパリで再び開催されます。過去13勝のナダルが優勝すれば、史上最多の21グランドスラムタイトル獲得となるのでどうしても話題はそこにフォーカスされます。2005年に初出場での優勝以降、全仏で敗れたのは、09年のソダーリン(この時フェデラーが全仏初優勝で生涯グランドスラムを達成)15年にはジョコビッチに、16年にはグラノイェルスに棄権の3回だけ。ローランギャロスでは負けられない何かをきっとお持ちなんでしょう…。ローマではきっちりと勝ったので準備は万全?
右画像はテニスマガジンの特集「内田海智に聞く50の質問」の扉です。デ杯のパキスタン戦で初の代表入りで勝利をモノにした27才。大方の予想を裏切り全日本選手権では伏兵の中川直樹に敗れましたが、破壊力のあるサーブとフォアハンドは日本人離れしています。興味深い50の質問の中で「グランドスラムに出てはじめてプロのテニスプレーヤー」と語ったのが印象に残りました。ジュニアデ杯で優勝した16才の時から注目していますが花開くのはいつになるか?見守って行きたいと思っています。

【50周年を迎えたテニスマガジンから残念なお知らせが…】
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テニスマガジンはボクが中学生の時に創刊されました。創刊号は軟式テニスの選手のサーブでしたが、2号目からは硬式テニスにほぼ特化され、あれから50年が経ちました。今号ではチョット残念なお知らせがあり、月刊誌から季刊誌に移行すると云う告知がありました。最盛期は隔週発行と云う忙しい時期(まだインターネットなんて言葉もなかった頃)を経て、ボリュームのある月刊誌として定着していると思っていたのですが残念な発表です。もちろん「テニスマガジン・オンライン」や、技術書などは継続して発行して行くようなので、様々な形でお付き合いさせていただこうと思っています。テニスマガジンでは「高校テニス100年史」の発刊や、中学、高校、大学生の大会報道なども編集部員総出でライブスコアの発信など、テニス業界における先鋒として引っ張って来られましたので、またいつか月刊誌として戻って来てくれることを願っています。紙媒体はストックとしても非常に大切で、ネットのように流れて行きませんからボクのような昭和生まれにとって価値のあるもの(創刊号から全て所蔵しています)です。時代や疫病なんかに負けず戻って来てください。歴史は紙で残して欲しいんです。また戻って来てくれること、お待ちしています。

【巻頭の技術モノは“真のリターン戦略”です】
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さてさて、巻頭の技術モノは“リターンの戦略”です。とてつもなく速いサーブを打つ相手だと何も出来ませんが、リターン好きには興味のある特集です。ストロークではバックハンドが苦手なのにリターンになると攻め込むことができたりするリターンには多くのバリエーションが存在します。フェデラーの“スネーク・アタック”しかり、サービスキープを続けていれば、博打を打つリターンゲームこそテニスの醍醐味を云えるのではないでしょうか?

【修造さんからは“宮城淳さん”での追悼メッセージ】
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1995年の全米オープンダブルスで加茂公成さんとペアを組んで優勝した宮城淳さんが2月にお亡くなりになりました。修造さんがジュニアの遠征で宮城さんがコーチとして同行されたときのことを回想しています。ボクが大学生だった1970年代後半、早稲田大学庭球部の監督は宮城さんで、仲の良かった同期たちの結婚式に呼ばれると、お仲人さんはほとんど宮城さんでした。それほど早稲田のテニス部の中では絶対的な指導者だったのだと思います。思い出されるのは、テニスクラシックの連載で、今から25年くらい前から「面白庭球講座」というのを8年間くらい執筆していたのですが、ある時、クラシックの別企画で「ラケットテスト」があり、なぜかその場にお邪魔させていただき、宮城黎子さんと淳さんにご一緒させていただきました。グランドスラムチャンピオン/全日本選手権優勝者に、こちらはインターハイ、国体出場レベル(大学では関東学生出場まで)ですから、淳さんにラケットテストをする「球出し」をさせていただくくらいの仕事でしたが、そのラケットの善し悪しが「淳さんの打ったボール」で、わかるんです。当時、ぶったまげましたが、全部のボールがラケットの芯に当っているのにも関わらず、仕上がりの良くないラケットは飛ばないんです。テニスの神はここにいるんだなと実感したのを覚えています。奥さまの操さんを先に亡くされたあとも、時々テニスを楽しまれていて、お亡くなりになる前に「自分史」を企画されているとお聞きし、手持ちの古い画像をお持ちしますとメールでご連絡をした直後に訃報に接し、とても残念な気持ちになりました。日本テニス界は大きな宝を失ったのですが、こんな疫病のお陰できちんとお別れが云えなかったことを悲しく思います。最後にお会いしたのは渋谷からのバスの中で偶然お会いし「今日は山形の近岡さんちでテニスをして来たんだよ」。最後に電話で話をしたのは「加茂公成さんがお亡くなりになったそうです」とお伝えした時でした。淳さん、どうぞ安らかにおやすみください。ボクは本当に寂しいです。