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熊谷一弥さんの銀メダルは紛失していたという話 [TENNIS IMAGE]

【日本のオリンピック第1号のメダルの話です】
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https://www.nikkansports.com/general/news/202008220000031.html
共同通信社が発表したレポートを日刊スポーツで読みました。レポートは以下の通りです。

日本の五輪第1号メダル、1920年8月のアントワープ五輪テニス男子シングルスで熊谷一弥が獲得した「銀」が紛失したまま行方不明であることが、22日分かった。23日はアントワープ大会で熊谷が銀メダルを決めた決勝から100年に当たる。
アントワープ五輪で熊谷は、シングルス決勝の翌日のダブルス決勝でも柏尾誠一郎と組んで準優勝。熊谷2個、柏尾1個の銀メダルを手にした。
歴史的なメダルとして東京都内の秩父宮記念スポーツ博物館が所蔵、これまで「日本初のメダル・銀(熊谷一弥・テニス)」と表示されてきた。
ところが、将来のテニス博物館構想を持つ日本テニス協会の問い合わせを受け、同博物館が来歴を調べた結果、第1号メダルと断定するのは難しく、ダブルスでの銀メダルの可能性が高いと判断。このほど「日本初のメダル・銀(熊谷一弥・柏尾誠一郎 男子テニスダブルス)」と変え、ホームページ上で表示した。
同博物館の調査では、メダルは66年に熊谷、柏尾英三郎(誠一郎弟)の両氏から寄贈された。熊谷氏宛て受領書には「第7回オリンピック大会入賞メダル(銀メダル)のご寄贈」と書いてあるものの、英三郎氏には「熊谷一弥氏をとおして銀メダルの寄贈をいただき」と謝意が記され、熊谷氏のメダルと明確に言い切れないことが分かった。
さらにメダルの行方が記された64年1月5日付の都内紙が見つかった。それによれば、熊谷氏の2個のメダルは「一つはアントワープから日本に送る途中で紛失、一つは戦後人に貸したきり戻ってこなかった」とあった。柏尾氏のメダルも一時不明だったが、62年に亡くなった同氏の一周忌に大阪の実家で見つかり、熊谷氏の手に渡った、と記されていた。
当事者や当時の関係者は亡くなったため、断定は困難だが、同博物館は柏尾氏の実家で見つかったメダルを熊谷、柏尾英三郎氏が寄贈した可能性が高いとみている。
熊谷氏の子息、一夫氏(92)は日本テニス協会を通して「父は人に貸して返ってこなくなったと嘆いていた」と話した。(共同)

メダル獲得100年の日、貯めに貯めていた原稿を発表したものと思われます。
共同通信社の取材力にあらためて敬意を表します。この情報、ありがとうございました。